#5.精神科医となったその後

結婚して、信州に移転。新天地での研修医時代。

「先生、死にたい」

「どうして生きていかなくてはいけないの」

患者さんに毎日問われる中納得いく返答や治療の手応えを見出せず、無力感や挫折の日々。

それでも毎日話を聞きにいくことを自分に課していた私は、患者さんに寄り添いすぎて、苦しくなり自分のバランスを保つのがだんだんに難しくなっていきました。

ストレスや緊張が続き、体調面も皮膚の状態も限界に。大変恥ずかしい話ですが、痔核の痛みも加わり立位も座位も辛くて毎朝の教授回診についていくことが困難になりました。

痔核の手術をして対症療法に取り組みながら、仕事を継続していくためにも出産のためにも、痔核、アトピー、喘息、結膜炎、花粉症、蓄膿症等の根本的な治療を心から求め始めました。

 

 

研修医が終わるころ1子妊娠。当直や診療の第一線を退く理由ができた私は、 パート勤務に変更し、ゆっくりとしたペースで自分のバランスを立て直す時間を与えられました。

 

結婚して4つの命を生み出す経験は、神秘的な体験で、胎内記憶も契機となり、それまでに意識していなかった見えない世界を信じる入口となりました。 

胎内記憶の第一人者の池川明先生と、

見えないチカラを持って生まれ、笑いと過去世療法を日々のセッションに活用されている精神科医の越智恵子先生

そのお2人の共著である「魂の処方箋」という本との出会いは、西洋医学の薬中心の精神医療を卒業し、心の問題をも本質的な根本的な治癒に向けて、私自身の見解を価値観を大きく広げてくれるものとなりました。

 

 

 

4人子育ては、《食育》と共に。

健康面では、私と同じアレルギー体質の病弱な長男・次男を抱え、小児科通いの日々。この負の連鎖を続けたくない、私の代で終わりにしたいと切実に願い、28歳から食育に一念発起しました。

食を育むことは命を育むこと、自然治癒力ありき、時にホメオパシーのレメディを用いながら、子供達にも包丁をもたはせてご飯とお味噌汁に立ち返った15年間でした。

子供達のアトピー症状や喘息は消失し、免疫力は高まり、4人出産後も小児科に行った回数は片手ほど。言葉通り、病院知らずの健康家族になりました。

子供達が力を取り戻すことができた頃、私自身のステロイド離脱体験(31歳)と、その後の激しいデトックス(#2.アトピーと私 39歳)とうつを体験したこと(#1.抑うつ状態 41歳)も、私自身に与えられた、という意識を超えたところにある、大いなるパワフルな自然治癒力、恒常性、調整力を実感する、宝物の経験でした。


当時の、長野の食育グループone piece(パズルのピース、みんな11人ちがっていていい、誰が欠けてもダメ  11人がかけがえのない存在 という理念)との出会いは本当に感謝で、安心して信頼できるコミュニティと出会い、身体とココロと社会を逞しく生きる仲間達に囲まれ 、自己信頼と自分軸の土台ができました。

 

命を育む、人を育む、時間と空間の力。

 

56腑と五味と感情の関係。栄養素とメンタルの関係。

 

女性として、母としての命を育む視点から

「患者さん達も成長していく。日常の中での気づきによって、成長し、精神的に成熟していく」ことを、そばで見守る、そばで支える、そんな診療に変わっていきました。